ホリデイ・トレッキング・クラブ


メンバー紹介
山猫博士

Dixieland On My Mindの音楽の方向性を決めるバンドマスター。クラリネットの中沢氏と共にこのバンドを立ち上げた創設メンバーの一人である。
中学校のブラスバンドから楽器を始め、甲府一高応援団吹奏楽部、山梨大学を卒業後、甲府一高時代の仲間と共にDixieland On My Mindを立ち上げる。
使用楽器は鈴木バイオリンの創始者鈴木政吉氏製作のベースを愛用。またデキシーキングス チューバ奏者園田佑司氏から譲り受けたMIRAPHONE製のチューバも所有するが、最近歯の調子が良くない為もっぱらウッドベースを中心にしている。
定年後、山梨でも数少ない乳児院「ひまわり」を立ち上げ、生涯児童福祉の道を歩むことにした志の高い人格者である。めっぽう酒好きだが、打ち上げでは一番最初に寝る。本番前に彼に酒を飲ませるな!!というのが最近のバンドメンバーの合言葉になっている。

ファゼーロ

バンマスの小田切氏と共にDixieland On My Mindを立ち上げた張本人。実質的な音楽監督でもある。曲の進行やキメを間違えると、彼からのゲキが飛ぶ。大のお酒好きである。
中学校時代のブラスバンドでクラリネットと出会い、以来50年余りクラリネット一筋で生きてきた。子供の頃からずっとデキシーが大好きだったそうである。
甲府一高応援団吹奏楽部~立教大学デキシーキャンパス隆盛の一時代を担う。ニューオリンズスタイルのクラリネットを吹かせたら、右に出るものはいないほどの名手。
卒業後、甲府一高時代の仲間達とDixieland On My Mindを創り、あちこちで素晴らしい演奏を繰り広げてきた。
また、1枚のお気に入りのリードを17年間も使い続けるという逸話の持ち主でもあり、この辺でも超人的な部分をうかがい知ることができる。最近はヤマハ製のクラリネットを使用しているが、時々フランスセルマーも愛用。
最近、命に関わるような大病を患うも、手術後1ヶ月でバンド復帰!ついでにお酒もたばこも復帰する(実はやめていなかったという噂も・・・)という不死身ぶりを発揮している。

ボーガント・デストゥパーゴ

わがバンドのホームグラウンドであるD-mindのオーナー。週一回の練習やライブに開放してくれている。
山梨百名山を制覇するほどの山好きである。
甲府南高校、獨協大学出身。中学校、高校と吹奏楽部でトロンボーン、チューバを担当する。
楽器をやめてから十数年後の38才頃、その頃のDixieland On My Mindのトランペット担当のメンバーと麻雀をしている最中に「おい!明日10万円用意しといて。」と言われて???
数日後に楽器(トロンボーン)が届き、半ば強引に吹かされたのが、Dixieland On My Mind加入のきっかけ。
本人談「40近くからの習い事はつらかった~~~(T_T)」
最近では密かに第5ヴォーカルの地位を不動のものにしようと画策しているらしい。

ボーガント・デストゥパーゴ

熊本県出身、九州大学工学部機械工学科卒業。
小学生の頃ビートルズで音楽に出会う、特に小学校6年生の時の来日公演は忘れられないほどの衝撃と感銘を受けた。九州大学時代に幻のロックグループ「PLYNTH」(プリンス)を結成し、作曲、ヴォーカル、ギター等を担当し大活躍する。国産のギターにGibsonのシールを貼り付けて使用していたせいか、その頃の仲間からは「ギブさん」と呼ばれた。ある日、友人に連れられて博多のシェーキーズに行き、そこでピアノを弾いていた“ちゃこちゃん”と運命の出会いを果たす。彼女は今は奥様であり、当バンドのピアニストでもある。博多シェーキーズではベースを担当する。1984年の白州ピクニックコンサートでDixieland On My Mindと初めて出会い、山梨にもデキシーランドのバンドがあることを知る。1987年、会社の転勤により韮崎勤務となり、それをきっかけにDixieland On My Mindに参加、ちょうど先代のバンジョー奏者が抜けた後で、ヴォーカルとともにバンジョーを担当し現在に至る。仕事でアメリカでの単身赴任生活の経験を活かし、趣味は手近な素材で、美味しい創作料理を作ること。パスタ系は絶品である。またバンドきっての酒豪でもあり、スポーツマンでもある。

ボーガント・デストゥパーゴ

福岡県出身。中村学園大学卒業。
音楽との初めての出会いは小学校の頃、器楽クラブでピアニカ、アコーディオン、木琴、打楽器等を演奏するうちに音楽の楽しさ、大勢で合奏することの楽しさを知った。
友人が通っていた博多の英会話学校の隣にシェーキーズがあり、ひょんな事からそこに出入りすることになる。そこでは福岡大学のOBバンド「ハッピーハウス」が演奏していて、そこでデキシーランドジャズを知り、何も知らないまま加入。ピアノ奏者としてかなり鍛えられた。
本人曰く「福大の方々のお陰で今の私があります。特にバンジョーの田代さんには、ひとかたならぬお世話になり、本当に感謝しています。」  しかもそこは、後年晴れて結婚することになる上記の愛しのダーリン=デューク松岡氏と初めて出逢った思いで深き場所でもあったのだ。

 その後、横浜シェーキーズでさらに演奏に磨きをかける。今、現役でバリバリに活躍しているプロ奏者の方々との人脈が広がった時でもあった。1984年、ご主人のデューク氏の転勤で8ヶ月間韮崎暮らしをしている時、白州のピクニックコンサートに行って、山梨にもデキシーのバンドがあることを知った。1987年、さらにご主人の転勤をきっかけに2年間暮らした熊本から甲府に引っ越してきて、敷島で練習していたDixieland On My Mindに押し掛け加入。ストライドピアノの名手でちゃこちゃんのピアノなしにDixieland On My Mindの音楽を語ることはできない。2006年に大病を患い活動を休止するも、驚異的な回復を遂げ1年後に無事復帰。現在に至る。

ボーガント・デストゥパーゴ

甲府一高応援団吹奏楽部、日本大学卒業。
中学生の頃のブラスバンドが音楽を始めるきっかけだった。Dixieland On My Mindの先代ドラムの方が転勤してしまい、それをきっかけに何もわからないまま加入。他のメンバーがほとんど甲府一高時代のおっかない先輩方だったため、半ば強制的に引っ張り込まれたという表現が正しいかもしれない。しかし、演奏中の楽しそうな笑顔と穏やかな性格は天性のものがある。


ボーガント・デストゥパーゴ

 甲府北中学入学と同時に吹奏楽部に入部、その頃テレビアニメ人気ナンバーワンの「巨人の星」のテーマ曲を吹きたい一念でトランペットを始める。以来30有余年トランペット一筋。甲府一高時代は吹奏楽の指揮者を務め、同時に高校時代から大学、社会人までずっとビッグバンド、途中からサルサ、ラテンジャズ、ブラスロックと変遷し、最近は自己の正統派ジャズカルテットでライブ活動を行っている。
現在はトランペット、コルネット、たまに歌、ライブの時の司会進行役などを兼ねている。

ボーガント・デストゥパーゴ

音楽との出会いは幼少時代、親父が持っていた軍歌のレコードの中に、なぜか1枚だけスティーブンフォスターがあり、草競馬のバンジョーが好きだった。
中学時代、甲府西高校の吹奏楽部や郡山での大学時代もサックスと女性をひたすら追及した。Dixieland On My Mindへはトロンボーンの小田切氏と仕事の打ち合わせの時に「練習にきてみれば」といわれ、軽い気持ちでD-Mindに出かけていったら本番のライブだった。引っ込みがつかなくなって飛び入り演奏したことがきっかけになり加入する運びとなった。
D-mindの壁にかかっているレパートリー一覧は彼の力作である。

ボーガント・デストゥパーゴ

わがバンドのメインボーカル!!堂々の歌姫!!
RPMと言うバンドでポップスやロック系の歌を歌っていたが、ジャズを勉強したいとDixieland On My Mindに加入した。お客さんとして聴きに来た最初のライブでいきなり飲みすぎて、デキシーのメンバーとセンセーショナルな出会いを果たした。
力強い歌声と歌唱力が魅力で、さおりん目当てのおじさまがたのファンも多い。

ボーガント・デストゥパーゴ

頼まれるとイヤとは言えない、とっても気の良いピアニスト。色んなジャンルの音楽に取り組んでいるが、ジャズは初めてだった。最近ではスイングバードジャズオーケストラのピアニストでもあり、ジャズピアノの腕前もよりいっそう磨いている。

ボーガント・デストゥパーゴ

甲府一高応援団吹奏楽部・中大スイングクリスタル出身で本来はトロンボニストであるが、2006年の中咽頭への大きな手術の影響でトロンボーンの演奏がしづらくなったのでDixieland On My Mindでは2013年春からバンジョー見習いを担当している。とはいえ、たま~にライブで吹く事もある。
名手青木研氏に手ほどきを受け、楽器も彼から数台購入した。東京では名門社会人ビッグバンドMondaynight Jazz Orch.を主宰している(現在は終身名誉バンマス)。仕事や練習で東京と甲府を往復する忙しい日々を過ごしている。

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